ホアキン・フェニックスの演技、青とオレンジのライティング、印象的な構図、弦楽器の重厚な音楽と言いたいことありますが、テーマについて思った事つらつらと。
本作の大きなテーマの一つが格差社会。
昨今の多様性を象徴した人種、性、趣向のマイノリティーをテーマとした一環としての貧困を描いた作品とも読み取れます。
認知すらされない存在としての貧困層。
先日紹介した『アス』にも通ずるテーマ。
貧困に病気、人間関係、暴力。
少しでも希望があれば、
笑いなよ。
自分を認めなよ。
自分の殻を破ろう。
逆境に押しつぶされ、そんな言葉を全て裏返しで解釈して、自己実現を達成していく狂人の物語の様に思いました。
"人生は主観でどう解釈する事もできる、自分の人生は喜劇だ"
主観で解釈すれば他人なんて関係ない。
そして、自分の人生を生きる結果として秩序を崩壊させる。
だって面白いから。
一見すると自由に見える秩序を破壊する人の末路は、20世紀を芸術、哲学の分野でも、過去の慣習や神や秩序の否定をして、信念の拠り所無くなった人達が精神的に不安定になる例が見られます。
ジョーカーも即物的な破壊の快楽に溺れ、飽きるとバットマンを困らせるという繰り返しをする事になります。
秩序の崩壊は誰かの勇気になり、新たな誕生の始まりとなりますが、その当事者は拠り所の無い孤独と戦い続ける事が運命付られているような気がします。
殴られても泣き寝入り、誰も助けてくれない誰か世界を壊して欲しいという人にとってジョーカーみたいなキャラクターがダークヒーローの様に映る訳ですが、上記のように、何かを破壊するなら、生み出す事を同時に考えないと本人はやっぱ苦しい。
この映画がいま評価されるということは破壊を懇願するほど今の政治の腐敗、経済の不平等に憤りを感じている人が多いという事でしょう。
狂った世界で生きるという意味では『天気の子』とも比較したくなります。。
希望を持てるか。
終始考えさせられる作品でした。
有識者の間ではバットマン史上最高傑作と言われる本作ですが、なぜこの狂人ジョーカーと孤独なバットマンが永遠のライバルなのか、重要な共通点が描かれた良作です。